こんにちは! ocean side staffです。
皆さんは「喜納番所」という場所をご存じでしょうか?
「きなばんしょ」と読みます。
読谷村喜納にあり、国道58号線を名護向けに走っていると左側。
「金月そば」さんや「池城ストアー」さんなど、個性的で素敵なお店が並んでいる道沿いにあります。
どーんとカッコいい正面、見たことある方も多いと思います。
以前の私は、池城ストアーでそばとお弁当を買いつつ「この建物はなんだろう」と思って見ていました。
何か用事が無ければ入ってはいけない場所なのかな?と考えつつ通り過ぎていましたが、ある日読谷村について調べ物をしていると喜納番所の文字が。
どうやら琉球王朝時代、今でいう市町村のような行政区域は「間切(まぎり)」と呼ばれていて、番所というのは、その地域を管轄する役割を持っていたようです。
こちらの喜納番所はかつて「読谷山間切番所(ゆんたんざまぎりばんじょ)」として、当時周辺の地域(読谷山地域)を管轄する役場だったとの事。
なんだか歴史を感じます!
喜名集落(1930年代)/ユンタンザミュージアム所蔵
交通の要地だったため、1416年に尚巴志(しょうはし)が北部征伐のためにここを通過したことや、その他歴代の琉球王が逗留したとか、明治になってからは上杉県令がここに宿すなどの数々の歴史を持つ場所だったようです!
1853年6月3日にアメリカのペルリ(ペリー)提督の探検隊がこの喜名番所で休憩をとった時、従軍画家ハイネがその様子を描いたのが残っています。 ハイネ絵が上手!
ペリー提督日本遠征記 挿絵
当時の海外の人の目に、琉球の風景はどのように映ったのか興味が沸きますね。
日本に行く前に、東アジアの重要地点である琉球に拠点を持つためにペリーは何度も琉球に来ていたようです
その後、実際の建物は1945年の沖縄戦によって跡形もなく焼失し、過去の記録なども焼けてしまい、その場所には長く建物は無かったようです。
2000年の「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の世界遺産登録を機に、米軍の航空写真などをもとに、残った過去の記録に忠実に再現されたのが今の喜納番所になったとの事。
再現に際し、喜納番所の屋根には「赤瓦」ではなく、当時と同じ特徴的な「灰色瓦」が使われており、灰色瓦は素材に沖縄特融の粘土質の土「クチャ」を使い、赤瓦より超高温の1080℃で焼くことでその再現に成功したそうです!
高温でキンキンに作られる灰色瓦は水を通しにくく、釘を使わず昔ながらの手法で木を組んで作られた建物全体を、沖縄の強い日差しや雨風から守ってくれています。
現代の知識と技術を集めて、当時の歴史的な建物をその場所に再現したと思うと、いろいろ見ながら当時に想いを馳せたくなりますね。
そんな喜納番所。現在は「道の駅」として読谷の観光案内所となり、誰でも無料で中に入れますよ~!
用事が無くてもフラッと立ち寄り、琉球、そして読谷山の歴史の風を感じる事の出来る場所なのです。
これは行くべき!
喜納番所の中。当時の灰色瓦などが展示されています。
午後にお邪魔した時は、奥の畳間で宿題をする小学生が…。
窓から見える外のベンチでは缶コーヒーを飲みながらゆんたくするおじ様方がいて、最高な心地よさで癒されます。笑
また、施設のスタッフさんの接しやすさも素晴らしく、いろいろおしゃべりをしているとあっという間に時間が過ぎてしまい、なんだか実家に立ち寄った感さえあります。笑
すっかり喜納番所がお気に入りとなり、この雰囲気好きだな~、ここで何かできないかなぁ~と考えていたのですが。
ちょうど当店の新メニューリリースなどがあり。
そんなこんなで、
みんな大好き喜納番所にて、私たちocean side acupuncture studioの新しいパンフレット撮影をさせて頂きました~!
読谷村役場 商工観光課のみなさま
ありがとうございましたー!
すぐ隣は58号線ですが、木に囲まれてるからか、ここだけ空気が違う
ocean side acupuncture studio(オーシャンサイド鍼灸院)では現在,
「琉球王朝時代に島の健康を守っていたヤブー(治療師)達に敬意を表し、当時の養生法を参考にして現代に再現した新しい施術メニュー」を作っております!
当時に施術を受けていた雰囲気や、琉球の空気感を再現するのに最高の場所でした。
撮影させて頂きありがとうございました。
医者がいなかったり、医療が届かない地域で、薬草やシンプルな道具、時には祈りをもって島人の健康を支えていたヤブー達。
そのヤブーのお話しもまたブログで書けたらと思います~。
モデルさんが琉球王顔でかっこいい
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