ヤブーってなんだろう? 

沖縄には昔「医者半分、ユタ半分」という諺があり、病気の治癒には医療と祈り両方あって完治する。と考えられていたようです。

現代医療が進んだ今でも、人が治るという出来事にはたくさんのレイヤーがあり、物語や祈りをもってやっと腑に落ちるというのを経験する事はあると思います。

「この病気が気づかせてくれた」「これにはこんな意味があったのかもな」

「アナタの想いがあったから治療を頑張れた」 などなど

※ 民族医療の事を大変興味深く書かれている東資子さんの本「治癒と物語」には当時の島人の価値観や死生観。生命観に触れていて、視点がやさしく読みやすい内容でおススメ本です。

治癒と物語 南西諸島の民俗医療/東資子

今ほど医療がどこでも受けられる状況で無い時代、沖縄ではユタだけが治療していたのでしょうか?

島の人たちはドゥーヨージョー(健康法)として庭や裏山に生えている薬草や、病気に効くという虫や動物などを食し身近な健康を守っていました。

沖縄に残っている記録には、ヤブーやカッティと呼ばれる民間の治療師がでてきます。

今でいう鍼灸師と似ていて鍼や灸、薬草などを使って治療をしていたようです。

お灸
ハジチをした女性が鍼治療をしている
鍼治療

ヤブーの呼称には諸説あり、藪(ヤブ)医者=適切な診断能力や治療能力を持たない、藪深い田舎の未熟な医者。ニセモノ医者という意味の蔑称として使われていた事もありますが、

いくつかの古い記録に共通する面白いエピソードがありました。

「琉球近海で一艘の唐船が難破し、その船に乗っていた一人の医者が屋部村に漂着した。当時の琉球は未だ医術が普及しておらず、唐で薬草とされている植物を尻ふきに使っている有様だった。それに気づいた唐医は屋部村にとどまり病気の治療にあたった。

しばらくして唐医の医術は評判になり、屋部村の医者「屋部医者」と呼ばれて尊敬された。

その後医者は首里王府に招かれて国王の病気を治療した。」

『沖縄文化:第23巻1号67/沖縄社会における民間医療職能者の特質』

その医者の話しは読谷村の「長浜の民話」や「瀬名波の民話」にも登場します。

読谷村にも治療に来ていたのかもですね。

窓から見える読谷のサンセット

屋部医者さんは多くの人を治療し、その方法を多くのヤブー達が受け継ぎました。

時代の流れと共に、ヤブーは蔑称として使われることが多くなり、実際その名前で呼ばれる事を嫌う方も多かったようですが、医療が足りない時代の島の健康を守り、島人に寄り添ったヤブー達は多くの人に尊敬されていた存在であり、沖縄の歴史に無くてなならない存在だったと考えています。

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